2009年10月11日

逆襲のシャア。20年ごしの感想

新宿ピカデリーで「逆襲のシャア」がリバイバル上映されているので観にいった。
1988年公開だからもう21年も昔のフィルムになる。
その間、自分はたしか40回ほどこのアニメ映画を刮目したはずだ。
子供の頃、大みそかのTVスペシャルか何かで放映されたもの(お正月だよ!ドラえもんスペシャルの宣
伝テロップが入っているので)を撮ったビデオをくりかえし回してこの回数。

そして、記念すべき第41回目を映画館で観た感想としては

展開が早い

というものだ。とにかく早すぎる!w
劇場でかかると倍速で動いているように感じるほどだった。CMがないからだろうか。

さすがガンダムは毎度「一見さんお断り」観が強いが、オリジナル長編ですらこのハードルの高さ。
何せ映画の始まっていない「松竹映画」のロゴ時点からすでにズーンという
音楽が入ってきて、そこからあれよあれよと2時間駆けぬける。
初めて見た人は何が起こっているかわからないだろう……。
いや、自分も10回くらいまでは何が起こっているかわからなかったのだから他人のことは言えない。


ストーリーとしては…

シャア・アズナブル率いるネオジオンが地球に隕石を落とそうとし
アムロ・レイの所属するロンドベル部隊がその阻止をはかる

というものだ。
なんか、ものすごくシンプルに書いてしまったが、大筋はこれでいいだろう。
これだけ見ると、ロボットの出てくる映画「アルマゲドン」のようで勧善懲悪ものに聞こえる。
しかし実際これほど複雑なアニメ映画もないのだ。

この映画を理解しにくくしているのは、情報量の多さもあるが、そもそも「シャアはなぜ地球に隕石を
落とそうとするのか」……その理由にあるといえるだろう。
シャアは、端的にいえば「地球に巣くう人類を皆殺し」にするために地球連邦政府に戦いを
挑んでいく。
こう言うと、余計に、よく聞く「世界征服を企む悪の組織」みたいだが、これを主人公に、しかも大真
面目に実行しようとすると大きな無理が生じてくる。

まず第一に、人類を抹殺する必要性がない(征服ならまだわかるが)。第二に、そんなことしたら宇宙に
住めるとしても生きていけない(資源はどうする?)。第三に、そんな陰惨な話をお客さんが受けとめる
わけがない(制作者も作りたくない)

隕石が落ちる話といえば、みんなで結束して地球を救うというヒューマニズムが描かれるもの、と誰も
が思うはずだ。
いくらアニメでも。いや、アニメだからこそ。
しかし逆襲のシャアはその「当たり前」をまったく説明のないままはねのけている。
冒頭で、5thルナ(隕石)をチベットに落としてしまうのだ。

当然、人が死にまくる。
しかもこれだけの悲劇描いておいて、事件に対する反応がアムロが壁を一回叩くだけというあっさりぶ
りなので、見ている側にはその重大さがあまり伝わってこない。それどころかアムロは涙をつたわせる
こともなく、新機体を見るべく旅立ってしまう。

だが、このシーンはこの映画の未熟を現わしていない。むしろ成熟なのだ。
なぜならシャアは本気で地球人を虐殺し、地球を寒冷化させるつもりなのだ。悲しんでいるひまはない
。動かなければすぐに第二波がやってくる。
考えてみれば「機動戦士ガンダム」は、コロニー落としのシーンから始まる。
人類の半分が死滅し、自らの行為に恐怖するのがスタートライン。それからも第一話から人が死にまく
る。兵士は特攻しまくる。あるものは母親の名を叫びながら、あるものはビームの熱風と窓の間で圧死
しながら死ぬ。大量破壊兵器や毒ガスが使われる。

この非情さこそ、ガンダムという作品なのだ。
そしてそんな世界で戦争し続ける人間たちは、人の死にナイーブになるわけがない。

それはシャアが隕石を落とす動機にも関連してくる。
実のところ、シャアがなぜ人類を抹殺しようとしたのか、その真意は最後までわからないのだが、
逆にいえば、この映画はその無理を無理でなくするための映画だともいえる。

人類を粛清したい、というのは、富野監督がどこかでもっている無理な思想なのかもしれない。
それをあえて作品の中に盛り込むことで、よりこの作品を昇華させようともくろんでいるのだろうと、
ファンの一人としては勘ぐる。
何が言いたいかというと、富野監督は逆襲のシャアを「戦争映画」にしたかったのではないかと思う。

…これは一見、簡単に聞こえるが、日本…しかも子供が観賞するアニメーションにおいて「戦争映画」
たることの難しさは想像以上だろう。
というよりもまず「映画」として見られているかどうかさえ怪しい。これは身内のはずのサンライズが
どういう風にこの映画を宣伝しているか見ればわかるだろう。
0どころからマイナスからの出発。しかもタイムリミットは二時間しかない。
だから当然、話は駆け足になる。しかし展開が早ければ早いほど、登頂に向かって全速力で走れば走る
ほど、富野監督の狂気と目指している到達点の高さにハラハラさせられる。


シャアはたんたんと計画を進めていく。
「コロニー潰し」をするという嘘の脅しと「武装解除」を餌に連邦政府との交渉を有利に進めていき、
ついにはアクシズを手に入れてしまう。
そのまま平和条約を無視し、「ネオジオンを百回死滅させる」だけの核ミサイルを搭載した基地ルナツ
ーを奇襲し、ミサイルを鹵獲。
ダミーで戦力をだましながら、シャアの舞台はアクシズに先行し、ブースターを点火してしまう。
アクシズは地球を死滅させるために直進していく。

これが、まだ湾岸戦争もソ連崩壊も訪れていない時代に描かれたアニメのストーリーである。
2009年現在、改めて観てみると、まるで今の世界情勢を風刺したような内容になっているのがわか
る。
ビデオの下に流れる「今後のソ連を大激論!」と出ている政治番組の宣伝テロップがチープに見えてし
まうほどだ。
むろん現実がガンダムを模倣した、などと言うつもりは毛頭ない。ただ富野監督が現実の状況の延長線
上にある未来世界を模写しようと努めた結果でしかないのだろうが、それだけに隕石落としという舞台
設定をよりクレイジーにしている。

物語を邪魔しているように思えるクェス・パラヤも、こういう文脈で見ると、洗脳されカラシニコフを
握らせられる少年兵にダブって見える。αアジールの異物さも、納得できる。

いよいよ終盤。ロンドベルは、政府の後ろ盾もないまま、必死に隕石を止めようとする。
ここからのシーンはどこも緊張感が走っていて、かつモビルスーツを降りたり乗ったり、そりゃ忙しい
w しかし上記の理由と同じように、この忙しさだからこそ戦闘の激しさや事態の深刻さが伝わってく
る。しかも、いったい物語がどこに向かっているのかわからない。
こうして、最後は伏線である「サイコフレーム」の共振によって終息していくのだが、
改めて見ても唐突感は否めないなと思った。
人気キャラクターであるアムロとシャアをどうするか…という問題もあったと聞くが。

でもこの情報量の多さこそ自分は求めているのだ。アムロとシャアの痴話喧嘩も含めて。
最後まで全力疾走しきり、このアニメは映画足りえた、と思う。
アクシズが離れ、それを見あげる人々のシーンは感動ものだ。
そのまなざしは決して希望に満ち溢れたものではなく、疲労した、戦争を目撃した人々のまなざしにな
っている。




(牢太郎)
posted by grigori at 21:16| アニメ感想